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患者さんストーリー

手術の翌日から歩け、退院翌々日から仕事にも復帰できました。

股関節

佐伯 英里さん (仮名)
北海道在住 
54歳、会社経営

病名 変形性股関節症(左足)

治療法 人工股関節置換術

この記事の目次

01 発症と疾患との戦い

発症された当時のことを教えてください。

走った後に足を切り落としてしまいたいぐらいのだるさ

私の場合、生まれつき骨盤側の骨に異常(臼蓋形成不全)があったのですが、それを知ったのは26歳のときでした。
主人と結婚したばかりで、お友達みんなと秋田へ二泊三日のスキー旅行に出かけたんです。生まれが北海道ですから、スキーは子供の頃から滑っていました。当然、このときも丸々3日間、ずうっとスキーをしていたんです。それが、3日目の帰る日になって、突然歩けなくなってしまいました。
足が動かないんです。それまでにも、学生時代、体育の授業で足が疲れてしまうことは度々ありました。駆けっこが得意で、リレーの選手にも選ばれていたほどでしたが、走った後に足を切り落としてしまいたいぐらいのだるさに襲われることもあったんです。

でも、歩けなくなったのは初めてでした。慌てて札幌の病院に行き、そのときに初めて自分の骨盤に異常があることを知りました。

ご自身の疾患についてどのように思われましたか。

お医者様からは変形性股関節症と診断され、妊娠は無理だとも言われました

母に聞くと、私は1,500gの未熟児で生まれてきたそうなので、そのせいもあるのかなあと思いましたが、まさか骨盤側のお椀の形をした骨が、人の半分しか無いなんて想像もしませんでした。

お医者様からは変形性股関節症と診断され、妊娠は無理だとも言われましたが、それはあまり気にしなかったですね。妊娠すると、お腹の重みで股関節が外れてしまいかねないから、ということだったようですが・・・。でも、私の楽観が幸いしたのか10年後の36歳のときに無事、子供を授かりました。疾患があるからといって、自分の生活に制限をかけることは性格的に合わないようです。

診断を受けてから大変なことはありましたか。

しょっちゅう転んでは怪我をして病院にかかることもしばしば

学生時代同様、長く歩くと足がだるくなったり、疲れやすいことはありました。育児もやっぱり大変でしたね。子供は重いですから。でもそのときは夢中だから気が付かなくて、後から足が痛くなることの繰り返しでした。本格的に痛むようになったのは40代後半からです。45歳のときに会社を経営するようになったのですが、翌年からは杖を突きながら仕事をしていましたよ。半年通ったカイロプラクティックがどうも私には合わなかったのかもしれません。

一度、股関節を捻って歩けなくなり、会社の子に迎えに来てもらったこともありました。一人では歩けなくて、壁伝いを沿うように移動して。鎮痛剤も使ってましたけれど痛みがひどいときは、やっぱり顔に出てしまうので痛みを抑えるのに苦労しました。お客さん相手の商売ですから、笑顔でいないといけませんし。それこそ、足を温めたり冷やしたり。温カイロを足にたくさん貼って、低温火傷をしてしまったこともありました。それに左の股関節がずれていくせいで左右の足の長さが合わなくなり、しょっちゅう転んでは怪我をして病院にかかることもしばしばでした。

02 人工関節置換術との出会い

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