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患者さんストーリー

脚の痛みに耐えながら仕事や家事に明け暮れていた日々が遠い昔のことのよう。今ではショッピングや温泉旅行も満喫しています。

股関節 ひざ関節

小堀 明子さん

小堀 明子さん
栃木県在住 
47歳(手術を受けた年齢)

病名 関節リウマチ

治療法 人工関節置換術(右股関節・左膝)

この記事の目次

01 痛みの症状について

さくら市の美容室「シェ・コボリ」のオーナーである小堀さん。1人で切り盛りするお店のため、最初から最後まで小堀さんが担当されています。ゆったりとした店内でのマンツーマンスタイルが、とても心地良いと評判のお店です。前向きで明るいキャラクターの小堀さんは、お休みを利用してショッピングや旅行を満喫していらっしゃいます。

最初は疲労によるものと思い込んでいた左膝の痛み

足首が重くなり、痛みを感じ始めたのは40代に入ってからのことです。それほど痛みが強かった訳ではありませんが、血液検査によってリウマチであることが分かりました。最初は我慢できる程度の痛みでしたが、3年ほど前から徐々に痛みが増し、痛みのある左膝をかばいながら仕事をしていたため、常に重心を右脚にかけるようになっていました。仕事中はもちろんのこと、家事や生活全般において右脚に負担がかかるようになり、右の股関節までも痛むようになってしまいました。しかし、美容師という職業柄、長時間立ち仕事をしているため、痛みの原因は疲労によるものと思い込んでいたんです。そして、アイシングや湿布薬で炎症を和らげようとしましたが、一向に良くならなかったことで疲労ではないことに気付きました。

家の中では、階段を這い上がる状態でした。

痛みが治まらなかったため、当時診察を受けていた病院で保存治療(痛み止めの注射)をしてもらい、座薬を使用する日々が続きました。それでも痛みは緩和されず、歩くたびにかなり股関節が痛みましたが、治療もしているのだから「この痛みは耐えなければならない痛み」なのだと自分自身に言い聞かせて我慢していたんです。

仕事でパーマをかける際に、ロッドという道具を使うのですが、このロッドを誤って落としてしまうと、すぐに拾うことができないのが切なかったですね。しゃがむ動作ができないため、すぐ近くにあるのに拾えず、柄の長いモップを使って邪魔にならない所まで移動させてあとで拾い上げて消毒するといった工夫をしていました。もちろん、家の中でも落ちたものを拾うことができなかったので、家族が率先して駆け寄ってきて助けてくれました。それに、靴下を履くこともできなかったので、半年もの間、毎朝娘に履かせてもらっていたんですよ。

小堀承央(こぼり よしてる)さん(ご主人)
今はとても明るい妻ですが、痛みがひどいときは、家の中の階段を這って上るといった状態でした。また、布団に横たわる時にも痛みを伴うため、クッションを置いて高低差を少なくし、就寝時の痛みを和らげる必要がありました。

痛みに耐えかね手術をしたいと相談するも、まだ大丈夫との診断

症状がひどく悪化してからは、この痛みから解放されたいという一心で、自分自身でもテレビやウェブサイトで見聞きしていた手術を考えるようになり、当時診察を受けていた病院の先生に相談しました。しかし先生からの返答は「手術をしなくても我慢できる人もいるし、まだ大丈夫」というものでした。人工関節の耐久年数などを考慮すると、平均寿命から逆算して60~65歳以上の方を対象とするのが望ましいようで、40代の私には他の治療法でとお考えだったようです。

02 手術を受ける決心から手術後まで

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