患者さんストーリー
ひざ関節
酒井 真智子さん
愛知県在住
56歳(手術を受けた年齢)
病名 変形性膝関節症(両足)
治療法 人工膝関節置換術
ハワイアンキルトをはじめ、美的センスが光るご趣味が素敵な酒井さん。最近初孫にも恵まれて人生をますます楽しんでいらっしゃいます。「手術は怖い」となかなか決断できず、気持ちも沈みがちだったというのが嘘のような明るさです。
実は2年前の右ひざに続き、昨年は左ひざも手術を敢行。怖かったはずの手術に次々と挑戦したわけと、2度の手術を振り返って思うことを伺ってみました。
ひざが痛みだすまでは靴の整理の仕事をしていたんです。棚への仕分けで立ったりしゃがんだりを繰り返したり、靴の箱を台車に載せて広いビルの中を運んだり。万歩計をつけていましたが、毎日1万歩以上歩いていました。ところがある日、ランチを終えて立ち上がったら、右ひざの後ろが痛くて脚が曲げられないんです。当初は肉離れとのことでしたが、脚が曲げられないので仕事にならず、そのまま辞めるしかありませんでした。その後、近所の整形外科に行くと「半月板がなくなりかけている」と言われ、1週間に一度のペースでヒアルロン酸の注射を打ちに病院へ通うことに。しかし半年続けてもよくなる気配がなく、主人の勧めで接骨院に行ってみたんです。
接骨院では、電気治療やマッサージなどのほか「脚の筋肉をつけるように」とトレーニングを指導されました。しかし半年行っても痛みはひどくなるばかり。「5、6年かけて歩けるようになった人もいる」と言われたんですけど、この痛みが5、6年も続くなんて耐えられない!それくらい痛みはひどくなっていました。そのうち右脚が「く」の字に曲がって固まってしまい、まっすぐ伸ばせなくなりました。スーパーに買い物に行くのにも家族の付き添いが必要になり、店内では車いすに乗って押してもらう状態。このまま行けば車いす生活しかないのかしら、とぼんやり思っていました。幸せな気持ちでいられるのは、趣味のハワイアンキルトをしているときだけだったかもしれません。
もう一度病院を変えたのは、最初に痛みを感じてから1年くらい過ぎた頃でした。実家から木曽川を渡ってすぐの総合病院にかかりました。父と妹の勧めで、というより半強制的に連れて行かれたようなものですね(笑)。というのは、次に病院を変えるということは手術を考えるということだったんですが、私はどうしても手術だけはイヤだと思っていたんです。手術をしたくなかったのは、ひとえに麻酔が怖かったからです。それまで大病もなく、病院にかかったのはお産のときだけだったし、「全身麻酔なんかして本当に目が覚めるのかしら」と怖くて仕方がありませんでした。麻酔科の先生に詳しく話を聞くときも、妹に頼んで付いて来てもらったくらい。しかも話を聞くとますます怖くなって、食事ものどを通らなくなり、手術までの約1ヵ月で8kgもやせてしまったんですよ!
それでも手術に踏み切れたのは、やはり先生に「痛みが改善されます」と言っていただいたのが大きいです。検査で来院したときは「どうして自分の脚はこうなっちゃったのかなあ」と思いながら、待合室にいる人の脚ばかり見ていました。このまま一生痛みを抱えて暗い気持ちで生きるのか、手術して痛みを取って、前向きに生きるのか。そう考えたら、何としてでも痛みを取りたい、そのためには手術を受けようと思えたのです。
妹・水野眞理子さん
当時、よく姉と電話でも話しましたが、まったく別の用事で話し始めても、必ず途中から手術の話になり、最後は泣き出してしまうような状態でした。私も同じ病院で全身麻酔の手術を経験していたので、何度も「大丈夫だよ」と言ったのですが、なかなか納得できなかったようです。もともと明るい性格の姉なのに、すっかりネガティブになっていたのが家族としても辛かったです。
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